平成の終わりと、令和という新しい時代に変わる世界
執筆者:Pyon
ついに平成という一つの時代が終わります。約30年という時日が流れた平成、振り返るといろいろなことがありました。それらの細かなことはTVのワイド番組に任せるとして。。。
私はまたテクノロジーがどう進歩して来たかの観点から振り返り、そして新しく始まる令和時代に、人類のテクノロジーがどう変わって行くのか?
そしてそのテクノロジーの進歩によって我々の生活や価値観、〝生き方そのもの〟がどう変わって行くのか?
大胆に且つ独自の経験をもとに、今回は記念となる未来予想図を掲げてみたいと思います。
題して、『令和時代に変わるもの・こと 未来予想 by 研究員Pyon』
そうです、令和時代には人類は今までの常識がまったく当てはまらない時代に突入し、すべての価値観や概念が見直される時代になります。
その分野は、世間で良く言われるこれから○○年後になくなる職業・AIやロボットに置き換えられてなくなる職業うんぬんという次元のものではなく、それが本当に始まる時(すでに足元まで迫って来ている訳ですが…)いま何を考えておかなければならないのか?また、それを見越して具体的に何が出来るのか、何をすればいいのか?について考察してみます。
まず、令和の時代に変わること・変わるもの 一つは交通です。
イメージしてください。いまの交通のイメージがまずガラッと変わります。
現在排気ガスや爆音を轟かせている大型トラックや大型バス、それらが音が出ない静かな乗り物になり、運転はもう人がやる時代が過去のものになります。
最近ニュースになっている人的な交通事故が起こらず、本当にクリーンで静かで平和な交通網で移動できるようになります。
そこからイメージを膨らませて、学習について目を向けてみましょう。
学習は今までの様に詰め込みの記憶力が求められる学習ではなく、子供たちそれぞれが持つ個性をいかに引き出し、伸ばすことを考えられるか、まさに創造性が最優先に考えられる世界になって行くでしょう。なぜなら詰め込み型の知識は今やスマホというスーパーコンピューター(コンピューターが誕生した頃を考えてみてください、今のスマホはまさにスーパーコンピューターです)がそれぞれの個人の手元にあり、調べたいことをつぶやけば、人類の最新の叡智を知ることが出来ます。
故に今後の教育に求められることは、画一的な教育ではなく、〝個性を引き出し尊重し応援する〟仕組みにとって代わるでしょう。
学校に行くという仕組みそのものの見直しも起こると思いますし、現代の〝学校に行く〟という感覚とは別次元の世界になるはずです。
そしてそれらは、当然さらにその先の世界を変えて行くので、我々はやがて働かないで生きて行く・生きて行ける時代に入っていきます。
しかし、そんな世界が本当に来るんですよ、と名もない私が唱えたところで、世の中の人は「はぁ~、何を言ってるのか理解できない」と反応されたりまた、「そういう時代が来るとは思うけどそれはまだまだ先の話で少なくとも令和の時代にはないな」とかと捉えられてしまうんですが、多くの方がこのことをちゃんと捉えられていないのでそう考えてしまうんだよなということも判るんです。
それは何かというと、、、
私たち人類のテクノロジーの進歩は、指数関数的に伸びて行っているということです。
指数関数的にとはどういうことかというと、倍々のスピードでテクノロジーは進歩して行っているということなんです。
2x2=4、4x2=8、8x2=16、16x2=32、、、というように
ムーアの法則といわれる、米インテル社の創業者のひとりであるゴードン・ムーア氏が1965年に自らの論文上に示した概念は、現在ではGoogleのテクニカルディレクターにも就任している発明家でありシンギュラリティの提唱者であるレイ・カーツワイル氏が唱えている2045年問題(?)でも捉えられている概念です。
これらの人が書いた書籍に対する感想の多くには、そうなったらいいかもしれないけど、果たしてその時人類は幸せなんだろうか?
労働がなくなったら、人類はすることがなくなって何のモチベーションもなくなり、それが幸せだとは思わない、、、といったような感想がよく見受けられます。
私の見地からすると、これらの感想を書かれる人は、〝完全に今の時代の常識に囚われてしまった頭・思考回路〟に陥ってしまって、未来のイメージが出来なくなってしまっている脳になってしまっているとみてとれてしまうのです。
逆に考えてみましょう。
今の、この現代のテクノロジーを携えて、そうですねぇ、産業革命が始まる前位の時代にタイムトリップして、その時代の人に今のテクノロジーで得られる〝快適な姿〟を見せた時その見せられた旧時代の人々は我々現代人が〝当たり前〟に使って過ごしている機器に触れてどう思うでしょうか?
あまりにも技術的な差がありすぎて、旧時代の人々は現代のテクノロジーレベルの機器についてでさえ全く理解が及ばず、まったく話にもならないでしょう。
ただ、その技術は存在し、人類はそう出来る様になってきたんです。
科学の進歩とは何かといえば、それは実は〝この宇宙にもともと存在している法則を発見して行く旅〟に他なりません。
そうなんです、科学の進歩とは言葉を変えれば、進歩ではなく『探求』なんです。
ニュートンが万有引力を発見したことも、エジソンが電気を発明したことも、それはもともとこの世界(宇宙)に存在していた法則を、その時代になって人類が気付けた(発見した)ということです。
例えを変えれば、小学2年生までは掛け算割り算レベルまでしか理解できなかったことが、小学5年生になったら方程式が〝理解できる〟年代になったから理解できた、というようなことが、人類レベルで起きているのが、科学の進歩・テクノロジーの進歩ということです。
それを理解するとき、まだまだ子供の私たちが、大人の技術・生活スタイルが本当はどうなのか?どんな生活が実は人類にとっての本当の常識なのかを理解することはできないのでしょう。
しかし、どこにでもみられることですが、同じ学年の子同士でも、理解力には差があり、ある子どもは他の同級生よりもいち早く大人の世界のことを理解でき(方程式を小学2年生で理解でき)、飛び級で14歳で大学進学等(日本ではないですが)を行えるほどの理解力でこの世界の実像を理解し、進んでいく存在がいます。
急に登場させますが、ホリエモン氏はそんな例えにあげられる存在なので、ちょびっと取り上げさせて頂きます。
私はホリエモン氏は見事にこの先にやって来る未来の世界の状態を観れている=先を見通せている知性を持つ存在だと思っています。無名な私の持論よりも影響力のあるホリエモン氏が同じようなことを捉えて発言し、そして著書も出しているということは、人類の未来に向けていい兆候だと思っています。
堀江氏が以下の講談社のWebメディアで語っていたことを読みました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58224
そこで堀江氏は、「近い将来、世界の一大産業が『遊び』になる」という記事を寄稿していいます。その意味はどういうことかといえば、記事の中で以下のように述べています。
以下、上記Webメディアからの引用
「旧来の発想で10年後の将来を描くのは不可能だ。タブーとされたものがタブーではなくなり、選択肢はさらに増えていく。
左寄りだろうと右寄りだろうと、旧来型の社会モデルを守ろうとしている人たちは、いまのシステムが永続的に守られていくものと信じている。
私には理解できない。彼らは、人間がどういうものであるのか、本質的な認識が欠け落ちている。人間というのはパンドラの箱を開けたがるものだ。それが人の本質だ。
パンドラの箱を開けようとする人間が一定数いないと、人間は人間たり得ない。誰もパンドラの箱を開けないのは、猿の社会だ。
(中略)
タクシー運転手、スーパーのレジ打ち、会社の財務部門などはやがて機械化され、職業としては消えていく。物流も自動化される。農業も、食料生産も自動化される。人が汗水流して働く場は、これから年単位で減っていくだろう。
仕事がなくなるとどうなるか。人には余暇がいっぱいできる。だから遊ぶようになる。遠くない将来、世界の一大産業は「遊び」になると思う。そのたしかな兆しは、「素人革命」だ。
(記事続く)」
引用ここまで。
というように、堀江氏はテクノロジーの進歩によって出現する次の時代の全体像がイメージ出来ている存在だということがこの記事から読み取れるわけです。
そして彼の記事は続きます。
以下引用
「これは先の素人革命に通じる話だ。遊びがビジネスになったとき、誰が儲かるか? 遊びの達人だ。 現代のコンサルティングビジネスと同様に、楽しく遊び倒したヤツだけが持っている体験や知識が、高い値段で売れるようになる。
遊び方を知らないと豊かな人生を送れないというのは、そういうことだ。昔の言い方とは実情が違っている。遊びの体験を仕事に活かすのではなく、遊びそのものがビジネスになる。遊ばないと儲からない、そんな時代になっていく。
年がら年中、遊んでいるだけなのに億万長者、という若者は、ぽつぽつと現れてきている。これからは遊び倒した者が勝つ世の中になる。」
引用ここまで。
そして今回の記事の締めではこのように語っています
以下引用
「豊かな人生とは何か? 貯金がたくさんあって、老後が安泰なことが、本当に幸福なのか? 質の良い情報を浴び、思考停止を解いて真剣に考えれば、答えはわかるはずだ。 金に縛られる人生を生きるな!と言いたい。お金儲けや、貯金を守ることなんて、考えないでほしい。
人生を豊かにするのは信用、そして楽しい体験を得られる行動だ。 行動した者には、信用が集まる。信用があれば、お金がなくても生きていける。そういった常識が、もっと浸透するといい。
私はかつて自分の著書で、こう書いた。
「アイディアよりも圧倒的に大事なのは実行力だ。思いつきより、考えたことを努力して、形にした人が本当に評価されるのだ。この国では、最初の一歩を踏みだした人が賞賛される向きがあるけど、本当の未来を切り拓くのは、アイディアを体系化できる能力を持った人だろう」
頭で考えて止まっていたらいけない。どんな楽しいアイディアも、実現することに意味がある。尻込みすることはない。素人革命によって、あらゆるアイディアは誰でも実現可能になりつつある。
どんどん行動して、君自身が封じてしまっている、パンドラの箱を思いきって開けよう。ただの道具であるお金に振り回されない、人生の扉がきっと開くはずだ。」
引用ここまで
流石にお金のない時代、人々が生きて行くためにやりたくない仕事をして給料を得て行く(という)今の時代の〝常識〟が次の時代にはなくなるとまでは書いてませんが、ホリエモン氏は次の時代、つまり仕事がなくなって行った時代にはどんな時代になるのか?を示してくれています。
そうです。仕事をしないでも暮らしていける時代が来ることを恐れないでください。
仕事をしないでいい時代になったら…
あなたの好きなことをして暮らせばいい時代になるんです!
再度強調します
そういう時代に世界が突入するとき、あなたは〝あなたの好きなことをして暮らせばいいんです!〟という時代になります。
その時実は同時に人類が到達する世界は、人をお金でジャッジしない、能力でジャッジしない、外見でジャッジしない(いずれは皆が安全な形で自分の顔かたちをデザインできる時代になるので、今優位を保っている美人さんも”心”を磨いていないと人々から振り向かれなくなります=外見でジャッジされる時代の終焉)等々が実現される時代になります。
そして生きるためのあらゆるものが平等に配給されるとき、犯罪はやがてなくなって行きます。性犯罪も高度に進歩した生物学的ロボットの出現により欲求が満たされ激減するでしょう。犯罪が起こる前提は、それが満たされていないからです。
つまりテクノロジーの進歩は、その進歩に伴ってそのテクノロジーを悪い方に使おうとする輩も必ず出て来ますが、それと闘いながら究極的には平和な世界を実現して行きます。
この世界はホログラムと考える人たちがいます。
それは何かというと、この世界は極小から極大にかけて皆同じ相似の世界になっているという考え方です。逆に言うと小さなものの中に全体(の情報)が含まれている。
例えば人間の受精卵にはその個体が成人になるためのすべての情報が含まれているというのと、成人になったときその70兆の細胞の一つ一つに、その個体全体を再生できる情報が含まれているというように、、、
今人類はまだまだ成長プロセスの途中であると私は捉えています。年齢で言うとちょうど思春期の頃を迎えている段階だなと。思春期の頃にカラダに何が起こるかといえば、急速な身長の伸びや生殖機能の完備(つまり大人になる準備)が起こり始めます。
私が独自の視点で見る今の地球人の段階は、本当に思春期の危険な中学生です。思春期の危険な中学生はどんなイメージかといえば、自分のカラダはどんどん大きくなっていって腕力は相当なものになって来ているにもかかわらず、その腕力をコントロールする精神力が未発達のままなので、いろいろなものを傷つけてしまっているようなイメージ。
環境破壊や紛争問題がそれに当たります。
しかしこれらの状態はいつまでも続くわけではなく、〝時が経てば(時が過ぎれば)〟その暴力的で危険だった青年もやがては大人になり、自分の思春期の頃を振り返り『あの頃は自分も若かったな~(いろいろな人・物を傷つけたなぁ…)』というような振り返りが出来る様になり、大人へと成長し、周囲の人ともうまく調和して生きて行けるようになる。
それがまだできていないのが今の地球人です。
日本に住んでいると忘れてしまいますが、今この時も世界では人類が殺戮しあっているんですよ。こんな地球人の精神状態はとても大人の精神状態とは言えません。故に地球人はいま危険な状況にある中学生くらいです。
大人の世界をイメージして、ワクワクしながら生きて行きましょう。私が感じる直観で、令和の時代に、私たち人類は本当の意味での大人の人類へと成長します。その時は労働もなくなり差別もない時代が訪れ、世界は嫉妬や妬みによる殺戮もなくなり、平和な時代が訪れるでしょう。
そこに向かって生きて行きましょう。
それが令和時代にやってくる世界です。
未来が見えるね研究所 研究員 Pyon
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